NHKのドキュメンタリー「日本人イヌイット北極圏に生きる」を観て
NHKのドキュメンタリー「日本人イヌイット北極圏に生きる」
たまたま観たこのドキュメンタリーに色々考えさせられたので、ここに書こうと思います。
番組の内容は
グリーンランド、最北端の村シオラパルクに、1972年に移り住んで暮らし始めた大島育雄さんの家族を追うドキュメンタリー。
大島さんは若い頃、あの有名な登山家、植村直己さんと一緒に世界の山々を登った仲だったそうです。
二人共に登頂を楽しんでいたけれど、生き方や考え方は全く違ったようです。
植村さんの場合は日本が生活の拠点で、登頂するために何度も現地に赴いては帰路につくというライフスタイル。
一方で大島さんは、登山の際、その土地や人々の生活や文化に触れて感化するタイプで、ついにはシオラパルク村に移住してしまったのです。
彼はそこで原住民に土地のことや狩りの仕方、生きる術を一から学んだんですね。
アザラシの皮を剝いで細くさいて頑丈なロープにしたり、ブーツや鞄を作ったりと、今では大島さんは村一番のイヌイットです。
現地の女性と結婚し、お子さんも生まれ、今では5人のお孫さんもいらっしゃいます。
大島さんの長男、大島ヒロシさんは村で唯一の漁師さん。
狩りや漁業で生活を支えています。
お孫さんの一人、イサム君も、最近お父さんの狩を手伝い始め、大島さんはイサム君らがシオラパルクで成長していく姿を幸せそうな笑顔で見つめます。
でも温暖化や動物保護政策などによって、イヌイットたちの暮らしは変化を余儀なくされているというものでした。
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ところでその前に、少しお話を遠回りしてしまいますが、
お付き合いください。
わたしの暮らしている台湾という場所は、
ちょっと意外に思うかもしれませんが
ベジタリアン人口がすごく多い場所なんです。
一番大まかな定義でのベジタリアンを説明するならば、本当にガチンコで、肉やその加工品までも一切口にしない人たちのことを言います。
日本ではあまり想像がつかないことかも知れません。
ベジタリアンが肉を食べない理由は、宗教や体質管理など人それぞれですが、動物愛護のためという理由も多くあります。
最近私もやや菜食中心になりつつあるのですが、今回、このドキュメンタリーを観て気がついたことがあるんです。
それは、
ベジタリアンや動物愛護の人たちが
肉を食する人たちを
すぐ悪者扱いするところです。
愛らしい動物を殺傷してその肉を食べるなんて悪いやつらめ!と、なにかと過剰に反応している様に見受けられるんです。
日本は四方を海に囲まれた島国であるため、もともと漁業を中心に人々が生きてきました。
味噌汁、鍋物、お寿司―、いろいろありますね。
和食には魚介などで出汁を取ったものや、海産物自体が多いので、現在でも日本人の〝ベジタリアン″の数が
他国に比べ圧倒的に少ないのは、そんな背景があるからだと思います。
そういったことから、各地に鯨塚や祠が造られるほど、
日本人は鯨や海の生き物たちと深い縁があるんです。
でもそのせいで、日本はここ何年か、動物愛護団体や諸外国から大バッシングを受けています。
鯨を捕りすぎているのなら、それは本当にいけないことです。
また、もし意義のない調査目的で捕鯨するのであれば、
それも非常によくありません。
ただ、私みたいな一般人には、わからないんです。
正確な情報が分らないから。。
いえ。。逆に数がわかったところで、その危機感すら判断できないのも事実です。
恐らくだからでしょう、外国の人たちは思うのです。
これからの漁業環境を守りたいがために
捕鯨を止めない日本の対応は横柄ではないか、
意地っ張りで、冷たい野蛮な一面をもった人たちだと。
色々な意見があります。
でも、もし捕鯨文化そのものをただ野蛮だ、
間違っていると否定されるのなら、
私は少し胸が痛みます。
私が見聞きした情報によれば、
鯨は体がとても大きいから、
たくさんの人が肉を食べることができたし、油や皮、
骨などを加工して、様々なものに活用できたようです。
昔のそうした暮らしは、今と比べたらそれは質素だけど、
日本の風土に合っていて、合理的で、
全く無駄がなかったんだなと感心しました。
でも、現代に生きる私たちは欲深くて
食べ物に限ったことではありませんが
何でも人より多く、欲しようとします。
「食べ放題」というお店もたくさんあります。
どの種類の品物も全て山盛りにそろい
食べ物は途切れることなくお皿に盛られていきます。
客は吐きたくなるほど食べ、
結局、残してしまったりもします。
大食い番組などもあって、
芸能人や参加者が、もうおなか一杯なのに、
嫌々食べ物を口に運ぶ様子を、永遠に放送しています。
観ていて、とても嫌な気分になります。
国際社会で、自国が非難されているのにも関わらず、
堂々と言い返せない。
それは多分
日本人がそういう後ろめたい暮らしぶりを
しているからではないでしょうか?
でも、大島さん一家は、全然違います。
(やっとこの話に戻ります、長くてすみません。)
彼らは自分たちがお腹を満たせる量だけを捕るんです。
それに、育児中のメスや子どもは捕らないなど、
自然界に敬意を払ったルールを自ら作り、
きちんと守っています。
捕った動物の肉は家族や村の人たちで全部食べ、
皮はキレイに剝ぎ、ロープにしたり、
毛皮を売って生活してきました。
つまり全てのことを、
自分たちが生きるために行っているんです。
穀物も育たない寒い大地で、動物たちを捕ることで
彼らは生きています。
でも、イヌイットの人たちの捕る毛皮も
日本の捕鯨問題同様、
今、国際社会から非難され、
強引に取引禁止の規制が定められてしまい、
彼らの生活は今窮地に立たされています。
世界中の、食べたい物や欲しい物をいつでも
買えるような環境に住む人たちから、
さんざん悪者扱いされ、蔑まれ、
イヌイットは、すごく生きづらくなっているのです。
というかこのままでは生きられなくなるだろう、
と正直思いました。
今まで動物の毛皮と聞くと
動物虐待、密輸がらみ、やたらと高値…
など良いイメージが一つもありませんでした。
でも
この番組を観て、
私は彼らのことを全く知らずに、
毛皮や、それを取り巻く物や人間に対し、
一方的に悪いイメージしか持っていなかったこと
に気づかされたんです。
ああ、、毛皮の売買が完全に無くなってしまったら、、
と大島さんたちの暮らしが心配になり、
将来もしお金がたまって、
毛皮のコートとかがどうしてもどうしても
必要になったら、イヌイットがご飯のために
捕った物にしようと考えました。
改めて、
物事のたった一部分しか知らない
というのは、本当に愚かで無知で、
危険だと感じました。
イヌイットが狩猟し、肉を食べる民族で、
それに対して多くの人々が
快く思わないのは構わないけれど、
だからといって、熱烈な宗教のように
その考え方や理想を
あらゆる人に押しつけて、
力づくで彼らをねじ伏せ、
生き方を変えてやろう、
というのはとってもなんか
違っていると思います。
人にはそれぞれの住む場所があって
家族もいます、生き方があります。
お互いにわかり合えればそれでいいのに、
なぜ自分たちの信じる概念を
人に押しつけなければいけないんだろう。
この世の中は大多数であることが
ほとんどの場合優勢で、少数派は
けっきょく呑み込まれてしまいます。
そう思ったらほんとうにやり切れません。
ベジタリアンであることの素晴らしさを
語っている人たちが
私のまわりでも増えています。
みんな確かにとても良いことを言っているんです。
でも、いき過ぎた熱心さが宗教っぽいなと
感じることがよくあります。
というかもはや一種の宗教なのかも?
とさえ思うこともあります。
(私自身、動物の肉は自分からは好んで食べたくないので、ベジタリアン、ビーガンの方たちの気持ちはとてもとても、わかるのですが。)
それから、毛皮取引制限の他に
更にイヌイットに追い打ちを掛けるのが
環境問題です。
氷が溶けて、狩りも容易にできなく
なくなってしまっているそうです。
それを環境を破壊している他者が外から攻め立て、
イヌイットの自然界での暮らしを根絶させようと
しているんです。
今も。
原発事故も起きてしまった中で、
わたしたちも暮らしを選択しなくてはなりません。
私たちの暮らしよりもはるかに
自然界の変化に敏感な
イヌイットの生活に多くを学んで、
自然にもっと優しくなれるように
努力することをもっともっと
やっていかなければならないと
思い知らされました。
逆に、捕鯨文化が過去に根付いていた
日本だからこそ、イヌイットに
共感できる点は多いだろうと思います。
大島さんがシオラパルクに惹かれたように
環境を大切にする世の中にまた生きようと、
日本人がまず目覚めなければなりません。
Pic:Retrieved from:http://www.ottawamagazine.com/culture/artful-blogger/2014/10/03/artful-blogger-inuit-arts-japanese-connection-revealed-in-new-exhibit/
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