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雑誌から想うこと

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高校の時、わたしはあるプレゼンテーションで日本のファッション雑誌についての憤りを爆発させたことがあります。   理由は雑誌の中の服はどれもこれも高いし、読者モデルたちが暴露した体験等を武勇伝のように載せたり特集をしていたからです。 特に性に関するトピックは若い読者にとってはとても関心の高いものだし、なければならないと思う。 でも、あんまりにも行き過ぎているのもあって、そんなの読めば若い女の子は我先にと処女を捨てることを望むだろうし、まぁそれはでもしょうがないとして、問題はちゃんとした性知識もないうちに、ただすぐセックスしなきゃ!とかこれがみんなやってることなんだっていう感覚を読む人たちに植え付けちゃうとこだと思う。 出版してる人は大人なはずなのに。 大人だからそうしてしまうのか- そんな雑誌のページをめくれば、セレブ系だとか~ミックスだとかは分からないけど必ず「やっぱヴィトン」みないなブランドがあれば自分に見た目高級感がくっついてくるってファッションが個人的に気にくわないです。 これがある種のジャンルを確立していることは間違いないし、それが見合う人たちもいて、そういう物が好きな人は本当にいるらしいけど、でもそういう雑誌を見て、流行だから、大多数だからって自分に無理してその流れの中にとけ込ませようとする雑誌、また溶け込もうとしちゃうのはやっぱりどこか痛い。  雑誌っていうのも社会の流れを大きく左右するもので、だから売れようが売れまいが、そういうアンティ現代流行雑誌なるものが世の中のスタンダードにドカっとやってくる時代も、ホントはありそうな気もします。 気取らずに生きるって、そうするって、やっぱ簡単にマネできないんだ。 それに憧れて、それでも躊躇するわたしは今日もそんなさりげない人達に憧れています。

Atayal族との出会い

実は今大学で台湾の現住民族、タイヤー族の言語研究をしています。 研究と言ってもわたしはボランティア程度でしか先生のお手伝いができないのですが意外と興味深かったのです。 そのルーツは日本の統治時代にまでさかのぼります。 彼らが普段使う言語はクリオールという分類にあたるのですが、なんと日本語とタイヤー語、本土の北京語等が混じり合った世にも奇妙な言語なんです。 でもそれが一色単になって彼らの日常的な言語として確立されているからすごいですね。   日本政府の統治時代に、日本の教育を受けた現在75歳以上のご老人たちが、日本語使用禁止となった後何十年程経った今でも、子どもの頃わずか1~6年間で覚えた日本語をはっきりと記憶しているし、流暢に会話をすることができます。 ただ年代別にすると60代以下の村人では中国語の使用頻度が高くなり、子どもたちに至っては大半が中国語しか話せません。  これまで2回、彼らの部族が住む村を訪れ調査をしましたが、ターゲットであったお年寄りが外部から来た現地調査をなのる輩にそう簡単に心を開いて話してくれなかったり、調査そのものが何なのか全く理解されなかった為に、なかなかいい結果を出すことができずにいました。 そんなわけで四苦八苦していたのですが、前回現地調査の途中で偶然出会った村の少年に半ば間に合わせで調査の協力を頼んだところ、なんとその少年の言語能力の素晴らしいこと! 私たちは希望と進展を感じました。   彼は16歳なんですが、ため息が出ちゃうくらい純粋で賢い少年なんです。村の教会にあるたった一台のピアノを弾きに行くのが唯一彼の楽しみだそうです。ピアノは小学生の頃音を聞いて弾きはじめ、耳を頼りに何曲も覚えたと言います。耳が良いというのは言語を学ぶ上でとても大切な要素で、ピアノを弾き歌う彼を見ながら、これが才能なんだ…と感嘆しました。 素敵だったのは、家の中で彼はいつもクリオールを使って家族と会話をしていると言うのです。外のものをもっともっと吸収したいという柔軟な彼の態度からは、年配の方たちがもつ拒絶感は全く感じられませんでした。彼にはそのまっすぐで澄んだ眼差しをいつまでも持ち続けてほしいと願うばかりです。