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3月, 2015の投稿を表示しています

新聞裡的人

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昨天3月13日台北信義鬧區 大樓外牆掉落造成死傷 剛看到一篇報導才發現這位受害者 是一位美語補習班老師,也同時有2個小孩的媽媽。 實在無法想像快要迎接快樂假日前一天的悲劇。 每次發生這些難受事情時, 最遺憾的是 很多媒體沒有考慮到受害者家屬、 親友還有周邊的人就公開非常血腥,很傷心的照片。 而且一旦被大量曝光,幾乎無法刪掉,問題就在這。 為了提升業績,媒體喜歡採取比別家更暴力、更血腥的影像, 而且還搭配過度形容的文章跟標題。連外國人的我看了心跳都會加速。。看不下去的。 通常,聽到或看到這種新聞,大部分民眾心著急,忍不住轉貼相關網頁, 開始瘋狂提醒親友們之後出門要戴帽子、要多看在走的路上有什麼, 或也有人批評建商、政府等等 但既然網路上分享新聞、自己的想法, 其實我們最不應該把被如此報導的被害人和被害者最愛的家人當作大家檢討正義議題的的模糊材料, 尤其最要考慮的是失去媽媽的被害者小孩子。 因為如果我是被害者,希望我的孩子好好長大,不希望讓自己孩子看到這些照片難過。 受害者孩子現在,這時刻也應該想著媽流眼淚過日子的, 我們其他人其實想像不到他們的痛苦。 新聞世界裡出現的人都有人生,都有自己的故事,才不是新聞裡的虛擬人物。 現在跟我小時候不一樣,科技一直進步,想找什麼都先上網查詢,因為網路上有我們一輩子看不完的資訊,找什麼超方便。 網路讓我們不會無聊,網路一打開,就能得到在我平淡生活得不到的刺激, 但我們現代人是不是已經太習慣透過螢幕看這世界上發生的事情? 我常怕這種己習慣刺激的自己。 失去媽媽的小孩子也應該很快就會接觸網路,也許已經有呢.. 很可能有一天看到自己母親的新聞報導、就要看到不該看的照片或文字, 有時候我們也許只為了自己的親友好,或為了社會好才會轉貼些新聞,分享些想法, 但其實要先得考慮這些行為是否有可能在傷害自己這輩子大概都不會認識的某人(新聞裡的人)。 很多時候連自己都沒發覺就已傷害別人了, 其實,人都是很容易受傷的,不是嗎。 安靜,冷靜下來,then let go.  It's sad, but all the bad things always happen, in ma

ビジネスマンが風俗利用を強いられる日本の会社文化

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以前「 おいたの過ぎるHに要注意 」で エッチ目的の日本人男性がどこでも多すぎると書きましたが、 知り合いの会社員の方で、地方や海外出張の際、 同行する上司たちから、クラブ通いは勿論、 風俗利用を強要されているという話を聞きました。 実際に会食後のクラブまでは女性の私も同席させられます。 夜遅くまで。。。 その方は翌朝、「昨日はかわいい女の子でした。」 と何とか上司にうまくウソをついて、難をしのいでいるようですが。。 上司の命に逆らって、女の子とそういう夜を過ごさないと知られると なんと上司はもちろん、組織からも嫌われるそうです。 つまり昇進に影響が出るということですね。。 ほんと聞くだけでヘドが出そうです。 バカじゃない!!?と思います。 これは女子中学生が仲の良い友達を連れ 「トイレ行こっ!」という感覚と一緒なのでしょうか? 行かないと言えば極端な話、仲間外れにされるとか、、? どちらも意味不明な問題だけど、 とにかく酷いと思い、ネットでキーワード検索してみました。 とりあえず「営業マン、風俗」と入力すると、、 ピンポイントな検索結果がいっぱい出てきました。 「営業マン=風俗通いと思って諦めなければならないのでしょうか?」 という営業職の彼、旦那様を持つ女性の質問も多く目について、 営業職の主人を持つ私にとっても、他人事とは思えず 言葉を失ってしまいました。。 悩んでいる方も多いのですね。 私は幸運なことに、主人に風俗の利用気が全くありません。 これは、一緒にいるとパートナーの女性にはわかるんですよね。 遊んでるのか、浮気してるのか、それは早かれ遅かれ女性に感づかれることです。 世の男性は、女性の六感を甘く見過ぎていると思います。 バレますよ、どうやったって。 家族にしろ、夫婦にしろ、信頼関係で成り立っています。 家族の愛情を踏みにじる行為は、誰が何と言おうと卑劣です。 そこに同情の余地はないです。 男と女はそもそも違う生き物で、男の性欲を女性は理解すべき。 と男性の女遊びや浮気を正当化しようとする人が必ずいますが、 だったらそういう男は結婚したり、 家庭を持つのに相応しくないと思

川崎中1事件。。ご家族をそっとしてあげたいです。

悲しすぎる。 なんて悲しい事件だろう。本当に胸が張り裂けそう。 ニュースで見る上村君の笑顔が眩しくて、あどけない。 まだころころした子供っぽい顔つきで、 思わず、年の離れた下の兄弟のことを私も思わずにはいられません。 まだ小学校を卒業して間もない中学1年生の男の子が、 どうしてあのように惨い仕打ちを受けなければならないのか。 2015年の2月は、、残酷な事件が、あまりにも多い。 もうこの世にはいないのだという嘆き。 村上君には会ったことも接点もないけれど、なんて悲しいのか。 どんなに辛かったろう、泣き叫びたかったのだろう。 できるものならば抱きしめてあげたい。 今、そしてかれからも村上君のご家族の方たちはどんなに辛いことでしょう。 ネットでは、ご家族に対する大変に厳しい意見も見受けられますが、 家族のことは、本当に家族にしかわからないことが多いと思います。 現に、一見なんの変哲もない私の家族だって、 それなりに悩んだり、苦しんだりと色々な事情があります。 家庭事情が外に丸裸という家族はこの世に存在するのでしょうか? この凄惨な事件を聞いて、悲しみ、もどかしさ、憤りをとりあえずぶつける相手を、 人は探そうとします。善悪とに分け、悪の要因を非難するのです。 人間ですから、そうしたい気持ちはあります。 しかし今回は、ご家族とは何の接点もない他者が 推測で 、 村上君の家族はこうだったからと 一方的に仮定し 、 残されたご家族を非難していることは間違っていると思います。 村上君は、小さな体で、恐怖から自分ひとりが踏ん張ればと 大切なご家族を守りたかったのでしょう。 真夜中に裸で凍るような川に入り泳がされ、、ああ なんてことでしょう、胸が締め付けられてしまいます。 一番辛いのは残されてしまったご家族のはずです。 村上君が命を張って守りたかった大事な人たちです。 村上君もご家族が中傷されることを望んでいないはずです。 ですから、どうかそっとしてあげて下さいと言いたいです。