映画ハクソー・リッジ→反日映画だろうから観ないにしようと思ってしまう方たちへ:そうではないんですよと言いたいこと

映画:『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge

🎥全ての人に、おススメしたい映画です!!
HACKSAW RIDGE(意味:ノコギリ崖=沖縄・前田高知のこと)


戦争に行くことは何をすることか?
敵を殺すということ。
これが戦争の当たり前。

しかし、そんな当たり前に、一人でアクションを起こした兵士がいました。
ー彼の名は、Desmond Dossー



予告動画(丁寧に和訳をつけてくださっています):https://www.youtube.com/watch?v=ZoNI8TvCdqI&feature=youtu.be






あらすじ】 

ある敬謙なクリスチャンであるアメリカ人青年(デスモンド・ドス)は、人助けが性分の優しい人でした。ある日、人の命を助け、国に貢献したいと、衛生兵として志願し、激戦地へ向かうことになりました。





彼は、他人を敬い、命を取ってはいけないというキリスト教の教えに従い、銃、爆薬、剣と、如何なる武器も携帯し、行使することを拒みました。




もちろん、その時代そんな考えを持ち、他人に打ち明けること自体珍しく、ましてやドスが志願して軍人という身分になったため、軍でもこの「厄介者」をなんとか追い出そうと、散々な嫌がらせをし、ドスをピンチに追い込みます。しかし、彼は諦めません。どんな辛さにも耐え、彼は信念を貫き通します。とても心の強い人です。


(ドスのお父さんは戦争の惨さを知っていました。荒くれものですが、平和を願う息子を誰よりも思っていたようです。)





戦地では、「あともう一人だけ、あともう一人だけ、神様、どうか自分にあともう一人だけ、助けさせてください」と弾が飛び交う中、武器無装備でただ一人向かい、敵味方に関わらず、多くの人を励まし、沢山の命を救いました。ドスは誰も見捨てませんでした。なんて命知らずで、なんて勇敢な人でしょうか。(以下ネタバレしちゃうので、映画を楽しみにされている方はこの緑色の字のあらすじ部分をすっ飛ばして👀🎦 鑑賞感想 🎦👀からお読みください。)







武器を持たず、使用しない彼を腰抜けだと散々馬鹿にし、酷い嫌がらせをしていた兵士や上官らも、次第に彼を認め、いつしか彼がいなくては、皆あの恐ろしい崖の上には行きたくなくなるほど、ドスに絶対の信頼を寄せていました。




ドスは、戦場でも週に一度のお祈りの日には、任務を休め、お祈りをすることにしていましたが、ドスがいないのが不安だったので、彼に同行を頼み、彼がお祈りするのを皆で待ってから、突撃作戦がはじまりました。



そんな中、ドスは肌身離さず持っていた聖書を、落とし、失くしてしまいます。とても落ち込む彼の姿を見て、仲間らが戦場で懸命に聖書を探し、見つけ出してドスに手渡します。過酷な状況で彼を支え続けた精神のより所は、いつも聖書でした。ドスは感激します。



帰国後、戦場で多くの人の希望となり、武器を一切持たずに、多大な貢献をした軍人として唯一、アメリカのトルーマン大統領から、名誉勲章を与えられました。



(トルーマン大統領とデスモンド・ドスさん 名誉勲章授与式)




その後彼は、田舎町の小さな教会に生涯通い、田畑を耕し、静かに暮らしていたといいます。2006年、永眠。映画では、第二次世界大戦の沖縄戦にスポットライトが当てられています。


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🎬

監督はメル・ギブソン。


👨主演のデスモンド・ドス役をアンドリュー・ガーフィールド、

👴父親のトム役をヒューゴ・ウィービン、

👩妻ドロシー役をテリーサ・パルマーが演じています。





👀🎦 鑑賞感想 🎦👀

今年観た映画の中で一番でしたし、戦闘シーンのある戦争映画の中でも、心に残る作品の一つになりました。

日本での公開はいつも遅いので、いつ公開されるかはわかりませんが、緊迫感が伝わる取り方をされているし、音響技術も素晴らしかったです。これはDVDではなく、上映されるなら、間違いなく映画館で見る価値のある映画です。


戦争映画は悲しかったり重すぎるから個人的には苦手なんですけど、この映画はドスさんを紹介する映画で、場所場所の加減が絶妙でした。ハッピー要素があったので、観終わった後、全く暗い気持ちにはならなかったです。それより、自分ならどうするか?ドスさんみたいに生きてみたい!って暫く余韻に浸ることが出来ました。なので、万人におすすめしたいです。


💕☮🌎☮🐦☮🌎
この映画を観て、数年前に、夫と旅行で初めて沖縄を訪れた時のことを、思い出しました。私は那覇空港についてすぐ、なぜか異様に気分が悪くなりました。1週間ほどの滞在で、特に那覇市では、頭痛や冷や汗、悪寒が止まらなかったです。でもせっかく沖縄に来たのだから、と夫に言われ、刻まれた歴史に触れてから帰ろうと、レンタカーのナビに旧海軍指令部壕を入れ、壕に向かうことにしました。


指令壕のある施設へは、坂を上っていくのですが、体調が入り口に近づくほど最悪になってきました。ついて早々、夫は写真を撮ろうと言ってくるのですが、もう記念撮影どころではありません。立っていることすら非常に辛かったです。私は霊能力も、幽霊に遭遇した経験もありませんが、とにかくあれは普通の体調不良じゃありませんでした。


入場券を買い、壕の中へと階段を下っていきました。壕の中はひんやりと冷たく、狭く、薄暗かったです。でもそこはやはり、戦場のシェルターとして存在していたのだと思います。傷を癒したり、食事をしたり、仮眠を取ったり、作戦を練ったり、絶望して自殺してしまったり…色々な物語が繰り広げられた場所でした。私は「辛かったですね、無念でしたね。でもあなたたちのご家族、ご子息たちは、戦争のない平和な場所で仲良く、今元気に暮らすことができていますよ、どうか、安らかにお眠りください。」と心の中で何度も彼らに話しかけながら、迷路のような壕を歩きました。そうしているうちに壕内では頭痛も多少和らぎました。不思議です。また、そこを一歩出たら、確実に死を覚悟しなければならなかった当時の人たちを思うと、いたたまれない場所でした。場所柄、日本人だけではなく、アメリカの方も、大勢訪れていました。

こんな風に安心して仲良く暮らせたはずなのに、なんで戦争なんて始まってしまったんだろうなと思います。


そういう歴史があるせいか、沖縄ではどこに行っても、人やモノ、というか全部がどこか切なさや苦しみを抱えているように見うけられました。滞在中は、確かに私の体調は優れませんでしたが、礼拝施設や戦争跡地などを「心霊スポットだ」、「気味が悪い」などと初めから嫌なイメージを持ち、変に避けようとするのは、大変残念なことだと思いました。もちろん無理に訪れることは、おススメしませんが、やっぱり、その場所が辿った歴史の跡に触れずして、沖縄を体感することは不可能だと思いました。全てが違って見えます。


かつて信じられないほど残酷な事が起きたこの場所で、生活してきた島の人々の気持ちはどんなだろう。。沖縄の人だけではなく、それは今もここにいる米軍もそう、その家族らも、いつもどこか切なさがあると思いました。それは私のような本土育ちの人間には、普段想像がつかない思いです。この切なさはなんだろう、泣きたい時は、どうしてきたのでしょうか。。


でもほんの少しだけ、わかった様な気がします。


なぜなら、沖縄の自然がとても美しかったからです。その風景は、戦争のない時代から、きっと変わらずそうであったように、どこまでも青い綺麗な海が、キラキラと輝き、暖かい優しい風が、そっと草花を撫でてゆき、勇ましいシーサーたちが雨風を体いっぱいに浴びながら家々の安全を守っていました。それは私にとって、とても、印象的でした。


きっと、毎日沖縄で暮らす日本人だけじゃなくて、アメリカ人も同じように、悲しいことがあっても、そんな沖縄本来の美しい自然の姿に感動したり、勇気づけられながら、なんとか明日も生きていこうって、生活してこれたんじゃないかなって感じました。

まだまだ色々な問題を多く背負わされてしまっている沖縄。。沖縄をこんなに悲しくさせたのは、ああ、いつも外の人間だったんだなとわかりました。こんなに素敵な島のこと、これ以上傷つけちゃダメだって。だから、この自然をきちんと守って、後世に残していくことこそが、皆の「生きる希望」になって、平和な世界に繋がっていくことも確信しました。私たち人間はちっぽけな存在で、ずっとずっと昔から大きな自然に守られてきたんですよね。環境改善と平和維持って、やっぱり共存しているんだと肌で感じた旅でした。

🌳🌴🐦🌻🐈🐟👫🌳


今の時代、戦争って聞くと、遠い国の紛争とか、もう日本ではとっくに過去のことで、今を生きる自分とは関係ないイメージがありましたが、沖縄では、全然それがまだ終わってなくて、進行中の中ににポツンと置き去りにされているなって思いました。何かにつけて、過去の悲しみが見え隠れしたり、今も軍事的なことを意識して、生活しなければいけないでいる沖縄のことを、日本って国や、本土の人間は特に、自分のことと思って考えないと何にも良くならないと思います。


映画観て、そんなことも色々思いました。





こちらもデスモンド・ドスさんご本人出演の回想記です。後に戦友らと沖縄に来られています。これを見ると、色々な問題の引き金になっている宗教も、実は倫理に基づき、正しく信仰すれば、人生の素晴らしい支えとなりうることを教えてくれているように思います。こちらも必見です。
動画元:https://youtu.be/ssrhBHn_sAc




【日本が負けるのを観たくない、日本が敵側設定の映画は嫌な映画だろうと考えてしまう方へ】




よく日本が出てくる海外物の映画で、日本がいわゆる敵側という描写の作品だと、こりゃ反日映画だから観なくてよし~反日要素ありだから駄作なんだろうとか言う方がいますが、、そう決めつけ、観賞しないのは超もったいないことだと思います。🗾🙌日本人行け行け~ニッポンチャチャチャ🎊🙌的な考えは、オリンピックとかだけにして、映画なので静かに観とけばいいと思います。しかも、観たらもしかしかして、自分の中で新しいアイディアや知識が芽生えるかもしれないですし、それほど損はないんじゃないでしょうか。


すみません、ちょっと脱線しますが、お話しさせてください。
私の夫の祖母は、もうずいぶん昔に亡くなっているので、私は会っていませんけれど、中国の人でした。彼女は戦時中、日本軍に家を爆撃され、言葉通り「全て」を失ったそうです。その後も残忍なことが沢山起き、日本と聞くだけで小さい体を震わせていたと、夫から聞きました。それは私にとって、とてもショックなことでした。それでも夫も夫の両親も、私にとても良くしてくれており、もう過去のことだけれど、自分たちの大好きだった家族だったから、という前置きで、教えてくれました。


日本にいた時の以前の私は(今台湾に住んでます)、南京大虐殺なども、日本で中国がでっち上げたとするいわゆるネトウヨ系の報道や記事をネットで見て、へ~?そうなの~!と結構普通に信じて見ていましたが、日本を離れて、沢山の国の人と知り合うようになり、自分の物の見方がガラリと変化しました。事実には沢山の素材や背景があって、それらを紡ぎ合わせてながら、見出すものだと、検索して次々に出てくるニュース記事をただただ鵜呑みにするのは、史実に対する大変な冒涜だと悟ったからです。

決して中華系の人間と結婚したから、中華贔屓に〜とか、媚びたのではありません。ただ夫のおばあさんは、私や今ブログを読んでくださっているあなたと同じ、ごくごく普通の暮らしをし、家族に愛されていた人だったということです。もう彼女はいないけれども、私も事実この家族の一人になったんだ、そして私もおばあさんがそうした様に、命を繋いでいくのかなということを悟らされた時でした。

だから、当事者でもない人間が、「日本人がそんなことするはずない」、「嘘つきだ」なんて簡単に口をつけることに、心がとても痛みだしたんです。言葉って、ずっと心に突き刺ささるものです。


今でこそ、ネットがあるから、瞬時に色々発信出来ますが、あの時代は、そんなものなかったので、凄い悪いことをしていた日本人も、中にはいたと思うんですよ。1人もそんな悪い日本人はいなかった、絶対やっていないということは、どう考えてみても、やっぱりちょっとあり得ないでしょう?

だから日本人だって嫌なことをいっぱいしちゃったんだよなって、そう思わなければいけないなと思いました。それに証言、中には映像なんかも世界中でたくさん残っているんですよね。体験者の方も。2005年より前、スマフォもまだ出ていなかった頃だし、日本にいるとなかなかそういう情報に触れる機会がなかったですが。


まぁ、私も日本人ですから、こうは言いつつも、他の色んな戦争映画や記事で、例えば日本人が他国の捕虜を散々虐めている箇所を目にしては、目を伏せたくなり、辛くなりますよ。こんな描写やめてくれ~って。そりゃそうですよね、戦争映画に出てくるような、悪いことをしていた日本人がいたなんて、本当は考えたくないです。誰しもアイデンティティーがあり、多かれ少なかれ、それに愛着を持っているので、それを何らかの形で否定されるような時に、憤りを覚えることは、むしろ自然なことです。


だけど悔しいから、ついスカッとしたくて、「話を盛ってる」「これはねつ造だ」、と反発し、対抗心をむき出しにするのは、もっと問題があると思います。そんなことをしても、私たちは先に進むことが出来ずに、また過去と同じように、愚かな争い事を繰り返すことになるのではないでしょうか? 


日本だけじゃなくて、どの国にだって、抹消してしまいたいストーリーはあります。でも自分の国のがピックアップされて、侮辱された、屈辱だ、日本のことばかり言うな、許せない~からとりあえず「間違ってる」と言っておこう💡👀!ということになり、しまいには「ねつ造癖のある国民」、「民度が低い」、「お前の国だって~だけど?」などと、他国の人たちを戒めることで、少しでもその場しのぎの越感を得ようとする方もいるようです。でもそんな自国民の姿は、正に、戦争映画の中に出てくる捕虜を虐める悪~い日本人を目にしているようで、とても嫌な気分になります。😟そうです、それは大変見苦しく、心底みっともないことです。


💬でもモヤモヤするんだ? じゃぁどうしたらいいのか?

☝なら、怒るのを止めたらいいと思います。
そしたらもう気を揉むことはないんですから。

だから隣国の人たちに会う機会があったら、こう接すればいいと思います。↓

「我たち先人が、過去にあなたたちの国の人に対して、酷い事を行ってしまいました。許されないことですし、心が苦しく、本当に遺憾です。ごめんなさい。🙇癒えることのない悲しみは生涯、私たち日本人が全世界に対し平和を維持することで、償っていきたいです。今は平和を一番に願っていますから、過去に起きた過ちは、絶対に繰り返しません。約束します。だから、お互い仲良く、助け合いながら、もっと良い関係を築いて、平和を保つ努力を忘れないように、一緒に生きていきましょう、これからもよろしくお願いします。」って😊💕。

日本の首相にも、こんな風にいつか言ってほしいです。

こうやって言えたら、変かもしれないけど、絶対スッキリするはずです。だって過去のことですもの、第一知らないでしょう?経験してないんでしょう?「はっきり自分の目でみてないから、そんな謝罪求められるのは日本的に遺憾、認めるわけにはいかない!」とか、いつまでも意地を張ったり、怒ってみたって、それは何も解決しません。


この点は、ユダヤ人に対して過去行った数えきれない悪事を、いつまでも認め、言い聞かせることで、永久に自らを戒めた、潔さと真摯な態度が、称賛までされるようになったドイツのそれを見習うべきです。本当の意味での先進国って、民度の高い国って、こういうことができる国や国民のことだと思うんです。違いますかね?


どうでもいいような意地?勘違いのプライド?からか、安倍総理が、小出しで他国を挑発したり喧嘩を売ったり、過剰反応するような言動をしたり、そういう器の大きな外交ができないのにも、え~~幼稚すぎるでしょ。。寛容になろうよ~💦なんでそうするかな~!?って怒りを覚えます。「ごめんなさい」ってまず一言、過去を清算する努力をしようよ、それから理解してもらおうとしようよ。シンプルなことなのに。(これ、後半ISと絡めて書きますが、ネトウヨ総理率いる安倍政権の策略なんですね。)


謝罪して、たとえ今更遅いとか言われたとしても、いいじゃないですか。色んな人がいるから、「ありがとう」、「もう過去のことだからいいよ」って葛藤しながらも言って許してくれる人も絶対いるし、現にそうやって、私たち日本人は世界中で“いっつも”許されてきました。だから色んな国にも自由に旅行に行くことが出来ます。


よく親日親日っていうけれど、それは私たちが、その人たちに、許されているということなんですよね。有り難いと思いませんか? 

だから例え自分がやったことじゃなくても、同胞が悪い事してたら、ごめんなさいって言い続けて、思い続けるんです。寄り添う努力や気持ちはきっと伝わっていきますから。全然、恥ずかしい事なんかじゃないと思います。
過去を顧みない言動こそ、平和に亀裂を入れる問題を次々に起こします。


日本人だろうが、何人だろうが、悪いことする人、残忍な人はいます。

今だってそう、だから昔もいたんですよね。

嫌な事をしたから、覚えている人がいた。良いことをしたから、語り継がれた。歴史ってそうやって繋がっていく。


日本みたいな島国の、ほぼ単一民族の暮らす場所にずっと暮らしていると、日本人本位の狭い見方しかできないことが多いです。それが「当たり前」だし、現に私がそうでした。試しに日本から1人で出てみればわかります。私日本人なの〜となぜか変なプレミア感を持ってたり、エバってみたところで、何もならないし、私たちは一人では、弱いんです。でも困った時、私たちを助けてくれる人が必ずいます。こちらも手を貸すと、笑顔を見せてくれます。そこには、何人であるかも、自国の過去も関係ありません。個人でできる良い外交、素敵ですよ。


何人なら親日国(*)だから良い人で、何人は、どこそこはそうじゃないから軽蔑しよう、嫌いでいよう、と自分で意味不明な条件を設けているせいで、素晴らしい出会いのチャンスや、多彩な人生経験も、はなから失っていることになります。

(*しかも親日とか親日国とか、日本で良く見聞きしますが、この世界にそんな国民も国も存在しません。何人とか何国とか一切関係なく、完全なる個人の考えです。現に台湾は親日だから〜とか言われている様だけど、日本全然好きじゃない人もめっちゃ普通にいます。)

正直言って、そんな人生つまらないんじゃないでしょうか?

他人の嫌味ばっか言いながら、あった事もないその嫌いな国とする人たち全員の悪口を毎日ひたすら言い生きて。。
一度きりの人生、もったいなさすぎます。。。


せっかく同じ地球に生まれて、同じ時間を共有する人間同士なんだから、過去や現在を共有していけばいいし、こういう過去をテーマにした作品からは色んな歴史を振り返るっていう形で、日本が出てくる戦争映画も観られればいいんじゃないかなと思います。


戦争で大切なものを失って、戦争はもうたくさんだと、終戦し、平和な暮らしを手にすることができました。それから先人たちのものすごい努力があって、平和というものを今私たちは享受できています。たやすい事じゃないんですよね、なんてかけがえのない、素晴らしいことでしょう。


でもこれって、儚い夢になってしまうんでしょうか?
これって「当たり前」じゃなくなっちゃうのかな。。😟 


また惨い世界に、今の日本人が暮らしたがっているように、思えてなりません。そんな恐怖が、増したのは、特にこの安倍政権になってからです。恐怖は私を襲い続けています。危機感や嫌悪感がもう今にも爆発しそうです。もっと平和のアクションをみんなで起こさないといけないんじゃないかと思います。争いは絶対にダメです。



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この映画では、ドス達が沖縄に着いて早々、前線にいた米軍兵士に遭遇し、状況を聞く場面があります。そこで「あいつら日本人は化け物だ…奴らは何も怖がっていない、何でもする...」と、聞かされるシーンがあります。これは神風特攻隊のように天皇、お国のため、と自爆攻撃等を行った当時の日本人が、外国人の目に異様に映った様子を表現したシーンです。


理解できないんですよね、なぜそんなことをするんだろうと。現代では、そんなことをする人はほぼいないので、私たちも、それがかつての日本人精神とやらだったんだと結論付けることで、なんとなーく納得しているかんじだと思います。でも、どれくらい異常だったのかと例えるなら、IS(イスラム国)の過激集団を思い浮かべてみれば、容易に想像できると思います。


彼らは、次々に自爆攻撃、無茶苦茶なテロ行為、残虐な大量殺人を繰り返しています。傍目には意味不明ですが、幹部がそれを「真のイスラム教だ」(本当の心良きイスラム教ではないですが)と勝手に主張し、宗教の力で信者を束ね、忠誠を誓わせているので、そういう恐ろしいことをやっちゃえるんですよね。ある意味すごいです。でもこれってかつての日本と似ていますね。思いっきり忠誠心を抱かせるというカラクリが。


けど、日本では、国民をクレイジーにドライブさせた要素が少し違いました。熱狂的な信者を比較的容易に生み出せる宗教に引っかけるのではなく、日本では他国の悪口をしこたま言って、外国を排他することを習慣化させ、印象操作したんです、そうすると自分たちの日本がやっぱ最高なんだという思い込みが生じます。日本人である自覚と優越感を国民に覚えさせ、それで日本全体の一致団結、士気を高めることができました。

自分が優越している感覚を感じるのって、すごくワクワクするから、人間は好きなんです。今でもこれは、様々な場面で利用されていますね。テレビ番組でも、「日本のここがすごい!」とか、そういう日本を自賛するものが、ここ数年とても増えました。…プロパガンダですよね(知らず知らずの内に政治思想を植え付ける)。こういうのを鵜呑みにしちゃうと、日本は一番っていうスタンスで何でも考えるようになっちゃうから、モノの見方も偏り、本質が分からなくなってしまいます。


こうして、ただ単に日本人っていう要素だけで、国(天皇の日本)のために命を惜しまない集団が形成されました。それが私たち日本人でした。正直言って、日本人ってISよりも狂っていたし、きっと本当に恐ろしい集団だったはずです。だって宗教で束ねなくても、ロクに報酬を与えなくても、国が世界的にもまだ超超貧しかった時代に、そんな国のために幻想に満ちた愛国精神だけで何でもやろうとした集団だったんですから。(*詳しくはNETFLIXのKNOW YOUR ENEMY_JAPANを参照 https://www.netflix.com/tw-en/title/80119190 「日本の最大凶器は日本国民という集団。」「例えるなら、隣の家の狂った番犬を相手にするようなもの」と日本を紹介するナレーションがあります。)


今、ISの残虐なニュースを見ても、多くの日本人は「なんでISはあんなことをするんだ?頭おかしいわ」と思う人が多いと思いますが、半世紀ちょっと前まで、外国は敵なんだ、日本だけが良い国だと毎日見聞きする生活の中で、私たち日本人は、争い事への疑問すら抱かずに、ただ日本人というだけでこの国のために命を落とすことが名誉なんて考えていました。また万一疑問を口にしても、非国民だとして、命を脅かされる危険があって嫌々従うことを余儀なくされていました。ゾッとしますね。。元を辿れば私たちみんな、結局はISと同じことをしてたんですよね。


でももっとゾッとするのは、今ISがクレイジーなやつらだと考えてる現代人の中にも、実は靖国神社とかに、戦没者の無念を(我々が他国を罵ったり、攻撃することで)晴らしていきます的な気持ちを込めて参拝し、それを本当の「日本愛」「愛国心」だと勘違いしている人も結構な数でいたりすることです。そういう方たちはハッキリ言って、神風の時代から何にも進歩していないと思います。考え方がISと同じじゃないですか。。。


戦没者や死者へのお参りは、もちろん悪くないですし、むしろ良いことだと思いますけど、「悔しかったでしょう、必ず仇を取りますから、天で見守っていてください!」じゃなくて、「平和であるよう努めます。どうかいつも見守ってください、RIP🙏」って平和を誓うことが、やっぱり一番の供養になると思います。そうやって心の中で先人たちに話しかけてみたり、参拝することで、こちらの心まで穏やかになりますし💗。試しにやってみたらいいのにって思います。気持ちが優しくなるはずです。


本当に日本が好きなら、他国の悪口なんて言わなくても、日本がどれだけ素晴らしいか恥ずかしくなるなるほど口にしなくても、他国を攻撃できてこそ愛国なんて思わなくても、心にいつも母国があるのなら、それはもう立派に日本を愛せていると思います。それで十分じゃないでしょうか。


「思い込み」とか「洗脳」って一歩違うと恐ろしいなと思います。やがて恨むこと、争うことも「当たり前」になっちゃって、正常な判断すらつかなくなってしまうから。

でもだからこそ、ドスさんが宗教を道徳的に理解し、熱心に信じることで、真の人助けができたこと、後ろめたさの無い人生を全うしたことに、感銘を覚えずにはいられませんでした。


今、誰もが意見を簡単に配信できる世の中なので、何の気なしに誰かを罵ったりしない風潮になればいいなと思っています。多くの人が目にし、それを信じる人がいて、大きなうねりになるからです。当然のことですが、日本語だって、日本人だけがわかる言葉じゃありません。世界中で多くの人が一生懸命に勉強されていますから、良くも悪くもみんなに目にされているんです。


どうせ口をつくなら、どうせ何かするなら、一度きりの人生、世界が今日よりも良くなるようなことを、思ったり、言ったり、行動する方がいいです。そういう風に、生きたいです。





長々と寄り道して、最近よく見聞きする反日云々のことを中心に書いてしまいましたが、大事なことだと思ったので書きました。また、この映画では、いわゆる憎たらしい日本人の描写は殆ど出てきませんでした。だからご安心をっていう言い方は本当に嫌なのでしたくないですが、日本が舞台の戦争絡みの映画で外国人監督が製作したってだけで、観ない~っていう方もいるようでしたので、もったいなさすぎる!と思い、書き込みました。戦争中に実在した方で、こんな素晴らしい人がいたのかぁ、これ実話なの〜色々凄すぎ…!世の中捨てたもんじゃないなーっていう感動がありました。何方様にも、おススメです。



この書き込みで1人でも多くの方がハクソーリッジを観てくれるといいと思います。
今までもそうでしたが、外からのキッカケがないと、自分一人では決して出会えなかった良い映画や経験、物事って、これまで沢山ありました。あの沖縄の指令壕だって、夫が行こうと言わなければ、私はきっと行けなかっただろうし、その分色々なことに今も盲目でいたと思います。万一、結果自分の好みじゃなかったとしても、自分の中で何らかの見解が増えているはずです。それは常に人を豊かにしてくれます。ですので、色々な体験をし、様々な人の意見に耳を傾けると言うのは大事です。でもそれ以上に、今私たちが安全に暮らせている平和の尊さをベースに、まわりで起きている沢山の物事を見極める力が必要です。今日は少しでも、こういう戦争系の映画も観てみようかなと思えるキッカケになればと思いました。


とてもいい映画でした。


平和を切に願います。心から。



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